
子宮全摘した女性の体験談【後編】
多すぎる経血と痛みに人生を阻まれた。子宮を全摘出したあとに待っていたものとは?
30歳を過ぎたころから、子宮筋腫の症状が重くなったアリサさん(51歳)。神奈川県在住で、映像制作の仕事ひと筋で生きてきた。ちょうど仕事が乗ってきたころから、多すぎる経血量、慢性的な貧血症状に悩まされるようになり、仕事も日常生活もままならなくなった。
過多月経が「活動的で社交的な自分」を奪っていく
いくつもの病院で診察を受け、37歳のとき子宮全摘出を選んだ。
摘出後は、「羽が生えたように身体が軽くなった」というアリサさん。失った時間を埋め合わせるかのように、仕事に打ち込む日々だが、もうひとつ大事なものを取り戻したように見える。それは、人間関係だ。
「月のうち半分も動ける日がなかったころ、何も予定が入れられませんでした。仕事の予定は当然入るのですが、心のどこかで『これもドタキャンすることになるのかな』と思っている。もちろん、行きたいんです。行かなければ大きな支障が出ることもわかっている。でもその日になると案の定、身体が動かない」
アリサさんの仕事は信頼関係のうえに成り立っているところがあるし、誰よりそれを大事にしてきた自負もある。それなのに、時間を守れない、約束を守れない日がつづいた。相手から怒鳴られ、仕事が頓挫してしまったこともある。一度失った信頼関係は、簡単には回復できない。
「友人との予定もそうです。食事や旅行に誘われても、行ける自信がない。たまたま体調がよくて出かけられたとしても、経血が漏れて飲食店の椅子やホテルの寝具を汚してしまうかもしれない。実際、そんなことも何度かあったんです。行かない、という選択をするしかありませんでした」
症状が悪化してからの大きな変化として、アリサさんは「お酒が飲めなくなった」ことも挙げた。アリサさんにとってお酒は、気分転換であり、人とのつながりを作るうえでも大事なものだったし、そうと知っている人からの誘いも多かった。断るときに病気のことは話したくなかった。
「そうやって仕事でもプライベートでも、断ったり、ドタキャンしたり、怒られたりしているうちに、次第に『あ~、私がダメな人間だからなんだろうな』という気持ちにとらわれていきました。誰にいわれたわけでもないのに、自分はだらしなくて何ごとも最後までできない人間なんだと、ただただ落ち込んでいくんです」
活動的かつ社交的な自分は、どこへ行ってしまったんだろうーー本当は友人と会っていたはずの時間、おむつタイプのナプキンを身に着け、動けない身体をソファに沈めていたアリサさん。天井を見ながら、これまで積み上げてきたものが自分からひとつ、またひとつとこぼれ落ちていくのを感じる以外、何もできなかった。
「子宮がなくなってもセックスってできるんですか?」
アリサさんの子宮に巣食った筋腫は、性生活にも影響を及ぼした。
「セックスのとき、痛いんです」
性交痛といわれる現象が、自分の身に起きたことに、アリサさんは少なからず動揺したという。それまではセックスを楽しんでいた。男性のサイズが大きく、挿入後に痛みを感じた経験は過去にある。けれど、それとはあきらかに次元の異なる苦痛だった。
「挿入しただけで、お腹に鈍い痛みがずんッと響くんです。そして男性が動くたびに、頭まで突き抜けるような激痛が走りました」

筋腫の位置や大きさによって、性交時に子宮が圧迫されることがある。男性器の挿入によって、筋腫やその周辺が押されたり引きつれたりして、痛みにつながるのだ。性交痛があると悩む女性には、まず婦人科の受診を提案されるが、それは子宮筋腫や子宮内膜症が原因となって痛みを生じていることが考えられるからだ。
「ところが、痛いと伝えると、『自分のサイズが大きいからだ!』とかえって興奮しちゃう男性がいるんですよね」
女性の痛みで自尊心を満たす男性……なんと迷惑な話しだろう。そんな相手とはもう二度としないほうがいい、といいたいところだが、アリサさんはそれまで、相手との性的な関係を大事にしてきた。だから自分が少しのあいだ我慢すれば、その関係にポジティブな結果をもたらすだろうと考えた。
それでも、耐えられる痛みとそうでない痛みがある。
「イッたふりをしましたね。早く終わらせてほしくて」
そのうち、セックス自体がイヤになった。苦痛がもたらされることが最初からわかっているのだから、したいとすら思えない。相手との関係を深めるにも、及び腰になった。
子宮を全摘出することが決まったとき、自分の奥でふっと性的好奇心に火が灯るのを感じた。症状が悪化して以来、消えて久しい火だった。それをそのまま医師に聞いてみた。
「先生、子宮がなくなってもセックスってできるんですか?」
「そりゃできますよ」
「男性が腟内で射精した場合、その精子ってどこにいくんでしょう? お腹のほうに流れていく?」
医師は少し笑って、「そのまま腟から流れ出ますよ」と答えてくれた。
子宮がなくなると“女”ではなくなる。そんな言説をアリサさんも聞いたことがあった。何をもって“女”とするのかわからないし、どうやら子宮がなくなれば、筋腫によって生じていた痛みからは開放され、かつてのように楽しめる可能性が高そうだとわかった。
臓器ひとつで、その人が“女でなくなる”ということはない。
「痛くないセックス」を思い出せた日
手術後、現在のパートナーとのセックスで、“痛くない”セックスを思い出すことができた。それはアリサさんにとって、思った以上に安堵と喜びを与えてくれるものだった。
セックスがなくとも育んでいける関係があることは知っているし、パートナーはそういう人だという確信もある。でも、セックスがもたらしてくれるものの大きさも、アリサさんは感じていた。
後日、検診で病院を訪れたとき、アリサさんは医師に、性交を無事に再開できたことを報告した。医師も「よかったじゃないですか!」と喜んでくれた。
子宮と引き換えに得た、「活力に満ちた日々」
30代、一般的には体力も気力もあり、社会での経験もそれなりに積み上がって、仕事もプライベートも充実する年代だと思われる。人によっては結婚、妊娠、出産、育児など数々のライフイベントが発生するだろう。
アリサさんはそんな30代の多くの部分を、子宮筋腫に奪われた。膨大な時間が溶け、壊れてしまった人間関係もたくさんある。
子宮全摘出から迎えた40代は、どんなものだったのか。
「またお酒が飲めるようになったし、友人たちと食事や温泉旅行を楽しんでいます。一時期は、もうできなくなるかもしれないと思ったセックスも問題なかったし、何より仕事に打ち込めたのが本当にうれしいんですよ」

私はダメだ、意思が弱い、怠け者なんだと自分を責めていた。そんな日があったとは信じられないほど、いまのアリサさんは活力に満ちている。失われた30代は取り戻せないにしても、病気から開放されたその後の人生をどうするかは自分次第ということだろう。
「子宮を摘出したと話すと、生理や更年期など婦人科系の悩みを相談してくれる女性が増えました。私が摘出前からずっとお世話になっているクリニックを勧めると、『どこに行けばいいのかわからなかった』と、何人もの女性がそこを受診してくれました。いまはSNSにもオンラインにも情報が多いですが、それでも経験者から直接言葉を聞きたいことってありますよね。背中を押せているのだったら、うれしいです」
アリサさんはいま、自分が病をとおして得たものを、周囲の人間関係に還元しているところなのだろう。
三浦 ゆえ
編集者&ライター。出版社勤務を経て、独立。女性の性と生をテーマに取材、執筆を行うほか、『女医が教える本当に気持ちのいいセックス』(宋美玄著、ブックマン社)シリーズをはじめ、『小児科医「ふらいと先生」が教える みんなで守る小児性被害』(今西洋介著、集英社インターナショナル)、『性暴力の加害者となった君よ、すぐに許されると思うことなかれ』(斉藤章佳・にのみやさをり著、ブックマン社)、『50歳からの性教育』(村瀬幸浩ら著、河出書房新社)などの編集協力を担当する。著書に『となりのセックス』(主婦の友社)、『セックスペディアー平成女子性欲事典ー』(文藝春秋)がある。