
体験シリーズ:パートナーの産後うつ【前編】
明るく元気な妻が思いがけず重い「産後うつ」に…そんなときパートナーにできる「最良のサポート」とは
待望の第一子誕生とともに、大切なパートナーである奥さんが重度の「産後うつ」に。金融スタートアップのFinatextホールディングス代表の林良太さんが、奥さんとともに体験した1年3カ月の壮絶な経験とは……。(この記事は全2回の1回目です)
出産翌日から眠れなくなって
2019年6月、林さんと奥さんのあいだに、待望の第1子が誕生しました。10時間越えの難産でしたが、母子ともに無事で、奥さんはもちろん、出産に立ち会った林さんも大きな感動と喜びを感じ、2人で喜びあったそうです。当時、林さんの奥さんは35歳でした。
「妊娠経過は順調で、妻は出産予定日の1か月ほど前から里帰り出産のために福岡にある実家に帰省したので、僕もよく遊びにいって一緒に過ごしていました。ただ、出産では何が起こるかわかりませんから、無事に終えられてホッとしたのを覚えています」
その翌日、仕事のために東京へ戻っていた林さんに、産院にいる奥さんから「まったく眠れなかった」と電話がかかってきました。でも、「出産したばかりだし、そういうこともあるだろう」と2人で話し合ったそうです。
ところが、その翌日も、翌々日も、奥さんはほとんど眠ることができませんでした。

「退院時、産院まで迎えにいったのですが、妻は今まで見たことがないくらい憔悴していました。『しんどい』『胸が張って痛い』『眠れない』などと言っていたので、最初は体調が悪いんだと思ったのですが、今考えると、すでに気持ちが落ち込んでいたのだと思います」
もともと、奥さんは長くバレエをやっていたのもあって元気で体力もあり、しかも明るい性格だったそう。だからこそ、林さんは奥さんの思いがけない姿に驚いたといいます。奥さん自身も「どうして私が」と戸惑っていたのだとか。
「それでも産後すぐは誰でもすごく疲れていて当然だし、もしかしたらマタニティブルーなのかもしれないし、東京に戻る頃には落ち着くだろうと思いました」
確かに、出産直後の女性はデリケートな状態です。心身ともに疲れ果てているうえにホルモンバランスが急激に変化するため、わけもなく涙が出たり、イライラしたり、眠れなくなったりすることがあります。これがマタニティーブルー。出産後数日~2週間程度の間に、女性の30~50%が経験すると言われていますが、10日くらいで治ることがほとんどです。
かかりつけ医が見つかるまで
1か月後、福岡の実家から東京の自宅へと戻った奥さん。新生児のお世話をしたり、家事をしたりしていましたが、やっぱりよく眠れないままで元気がなく、自ら病院にかかりたいと言い、最初は1人で心療内科を受診したそうです。
「ところが、この心療内科は女性のためのクリニックを標榜しているのに『気のせい』とか『しっかりしないと』などと言うばかりで、薬の処方もしてくれなかったそうです。妻はクリニックに行く前よりも落ち込んで帰ってきました」
これはまずい、と思った林さん。今度は林さんが出産育児に詳しい精神科を探して予約し、奥さんと一緒に受診することにしました。ここでは、奥さんの症状と出産後すぐであることから「産後うつ」と診断され、抗うつ薬と睡眠薬を出してもらうことに。
「いろいろと調べた結果、少しずつ『もしかしたら産後うつかもしれないな』と思い始めていたんです。だけど、僕も妻も産後うつについてよく知らないまま出産を迎えたし、『まさか』という思いもありました」

産後うつというのは、出産後の女性が陥る精神的不調のこと。2週間以上継続して、気分が落ち込んだり、不安や焦燥感に駆られたり、不眠や過眠、集中力の低下などの症状が起こります。マタニティブルーと違うのは、症状が長く続く点です。
奥さんは、抗うつ剤や睡眠薬を飲むため、母乳育児をやめて粉ミルク育児に変えました。母乳にはそこまでこだわりはなく、周囲も理解していたので、問題なかったそうです。ただ、最初の病院でもらった薬が合わなかったのか、「胸がザワザワする」と言い、より症状が悪化してしまいました。
当時の奥さんの症状は、落ち込んで動けなくなるというより、「子育てしなくてはいけないと思うのにできない」という焦燥感からソワソワと落ち着かない感じだったそうです。林さんは外では仕事、家に帰れば育児や家事を頑張り、奥さんの話を聞くことにしました。
「とにかく、下手に励ましたりしないで、妻の話を聞くのが一番だと思ったんです。いわゆる傾聴ですね。だけど僕自身も、仕事や家事に加えて、初めての育児で疲れていたし、大切な妻が呼吸困難になったりと苦しむ姿を見て、気持ちが不安定になってきました」
林さんが、今後どうしようかと途方に暮れていたところ、知人が信頼できる精神科医を紹介してくれて、やっとかかりつけが決まりました。特別な治療法があるわけではありませんでしたが、必要な薬をきちんと出し、丁寧に話を聞いてくれて、完全に治るには時間がかかるということを教えてくれたそうです。
寛解までには時間がかかる
それでも林さんは当初、「割とすぐに治るんじゃないか」「朝起きたら元通りになっているんじゃないか」という期待を捨て切れなかったそうです。しかし、その期待に反して、奥さんの症状はよくなるどころか悪化していくばかり。となると落胆したり嘆いたりする人も多いでしょうが、林さんは違いました。
「ああ、そうか。やっぱりすぐには治らないんだ。時間がかかるんだからジタバタしても仕方がないと覚悟を決めたんです。そして、さまざまな本を読みました。その中で、もっともよかったのが、プロ棋士の矢崎学さんの『うつ病 九段』です。日常の記録が淡々と描かれていて参考になりました」
そして、林さんは奥さんのためにバックアップ体制を作りました。日中は近居していた林さんのご両親、夜はできるだけご自身が、子どもと奥さんのお世話をすることにしたそうです。奥さんの実家からも、ときどき応援に来てもらいました。
最初は不眠や動悸、不安、少ししてからは味覚障害、口の違和感などのさまざまな症状が出てきた奥さんでしたが、2~3カ月後からは少しずつ寝られる時間が増え、3~4カ月後からは気持ちが少し落ち着いてきたといいます。
「出産から半年後、子どもは僕と僕の両親がみることにして、3カ月ほど妻は福岡の実家に帰省しました。『みんなに負担をかけて申し訳ない』『育児をしなくては』などという焦りから解放され、規則正しい生活を送ることで、すごくよくなりました」
これがターニングポイントになり、奥さんは少しずつ元気になり、出産から10カ月後には少しずつ以前のような生活が送れるようになり、1年3カ月で寛解したそうです。
「闘病のサポート、仕事と子育てや家事の両立は大変でしたが、何より妻を愛していますし大事に思っていますから、失いたくないという一心でした。一時は自ら命を絶ってしまうのではと心配したくらいなので、寛解して以前のように笑い合えるようになってホッとしました」
(後編へ続く)
林 良太(はやし りょうた)
Finatextホールディングス共同創業者 / 代表取締役社長CEO
東京大学経済学部卒業。ドイツ銀行ロンドンのテクノロジー部門に新卒で入社した後、グローバルマーケッツ部門に移り、ロンドン・欧州全域の機関投資家営業に従事。ヘッジファンド勤務を経て、2013年12月に株式会社Finatext(現・株式会社Finatextホールディングス)を創業。