
crumii編集長・宋美玄のニュースピックアップ #31
ついに東京都の無痛分娩費用助成制度開始! 安全で苦痛の少ない出産の普及になる? 課題は?
東京都は2025年10月から、出産時における無痛分娩の費用を最大10万円助成する新制度を開始します。かつては「お腹を痛めて産んだ子」という言葉があり、陣痛の痛みに耐えることが通過儀礼や美徳とされていましたが、それも今は昔。東京都が今年行った調査では6割以上の妊婦が無痛分娩の希望していて、「希望していたけどできなかった」「希望しなかった」の理由として「費用が高いから」という答えがそれぞれ上位にランクインしました。
今回の助成制度により、無痛分娩を選択するにあたって経済的なハンデを軽減することが期待されていますが、問題点や課題も指摘されています。制度について説明した上で課題について論じてみたいと思います。

制度の概要
本制度の対象となるのは、硬膜外麻酔や脊髄くも膜下硬膜外併用麻酔(CSE)といった標準的な方法による無痛分娩です(笑気麻酔や点滴による鎮痛は助成の対象外)。助成額は最大10万円で、麻酔の手技料や薬剤費など「無痛分娩に直接関わる費用」が補助されます。一方で、個室料や食事代、保険適用分などは対象外です。申請は出産翌日から1年以内にオンラインで行い、助成を受けるには「東京都が指定する対象医療機関」で出産する必要があります。
この「対象医療機関」は、無痛分娩の質や安全性を担保するためのクオリティーコントロールの役割を果たすものです。基準としては、厚労省の作成した無痛分娩取扱施設のための、 「無痛分娩の安全な提供体制の構築に関する提言」に基づく自主点検表」の全項目を満たすことや、JALA(無痛分娩関係学会・団体連絡協議会)の情報公開事業に参画し、自院の安全体制や診療実績を公開することなどが求められます。
「自主点検表」の内容
1. 診療体制・安全管理:無痛分娩を行う施設は、インフォームド・コンセント文書整備、麻酔担当医・麻酔管理者の配置(麻酔科専門医資格、麻酔科標榜医資格又は産婦人科専門医資格を有する者)蘇生設備や医療機器の配備、危機対応シミュレーション実施などの義務づけ
2. 情報公開:無痛分娩実施実績、説明文書、方法、急変対応体制、麻酔担当者の研修歴などを施設ウェブサイト等で開示すること
3. インシデント報告と分析:有害事象・事故・インシデントを収集・報告し、分析して共有する仕組みを設け、対応マニュアル整備や再発防止措置の義務づけ
医師や助産師には定期的な研修や救急蘇生コースの受講も義務付けられ、年1回以上のシミュレーション訓練も必須となっています。
東京都は9/26現在の登録施設121箇所を公開していますが、分布を区市町村別に見ると、23区および多摩地域の26市については、すべて少なくとも一つ以上の対象施設が存在しています。ただし、その数には大きなばらつきがあり、台東区・中央区・豊島区といった都心部や、武蔵村山市・国立市・小金井市・狛江市などの多摩地域の市では、1つの自治体につき1施設のみといった状況も見られます。西多摩郡および島しょ部には、対象医療機関がありません。
考えられる現状での課題と問題点
時代と共に無痛分娩を希望する妊婦さんが増えている中、東京都の取り組みは全国からも注目されています。これから東京で出産する妊婦さんたちにとってプラスになっていく制度となることを期待しますが、運用開始を前に考えられる課題について論じてみたいと思います。

望んだ人がみんなできるのか?
東京では1年間で8万人以上の妊婦さんが出産しています。調査では6割以上の妊婦さんが無痛分娩を希望しているとのことです。単純に計算して約5万人の妊婦さんが希望することになりますが、実際にそれだけの妊婦さんの希望を叶えられるキャパシティがあるのでしょうか。
通常の場合だと、無痛分娩のキャパシティが足りなくても「仕方ない」と思って諦める方が多いし、それしかないと思いますが、今回のように公費での助成が行われる場合、希望が叶った人には10万円が助成され、叶わなかった人には何もないという、不公平感が増幅される状態が想定されます。
(個人的な意見としては、無痛分娩だけに助成をするのではなく、出産する人全員への助成にしたらいいのにと思います。)
都内でのアクセス格差はないか?
上の疑問にも通づるものですが、同じ東京都に住んでいても無痛分娩へのアクセスが非常に悪い地域があり、それが不公平感に繋がりかねないのではと思います。アクセスの濃淡や空白地帯について対策があるのか知りたいです。
助成が始まる前のタイミングで値上げが行われているようです
無痛分娩の費用を10万円助成する制度の開始を前に、値上げを行っている施設があると報道やSNSで言われています。安全に出産を最後まで管理し、麻酔も行うには当然コストはかかりますし、昨今の物価高や不動産価格の上昇など、値上げしないと存続できない理由は多く存在します。ですが、もし助成金が値上げに吸収されてしまえば、本来の目的である「費用がネックで無痛分娩を選択できない人を減らしたい」という制度の趣旨は果たされないことになってしまいます。助成金の受益者が誰なのか検証は必要になると思います。
また、出産一時金の時のように、値上げを悪様に言うマスメディアが現れることを危惧します。
産院の経営が無痛分娩ありきになってしまうのではないか
無痛分娩にかかる費用にのみ助成ということで、妊婦のニーズが無痛分娩可能な産院に集中し、そうでない施設の経営が苦しくなることは想像に難くありません。その結果、無痛分娩を行うことが至上命題となり、それほど熟練した人材が揃わなくても扱うようになったり、無痛分娩でない出産をメインで扱うところが減ってしまう可能性があります。実際、無痛分娩による合併症を起こした妊産婦の搬送を多数受け入れていて、そのためもあって無痛分娩に消極的だった施設が無痛分娩を始めたという例もあり、施設ごとの方針や個性が失われていく可能性があると思います。
無痛分娩のリスク
無痛分娩のニーズが叫ばれる中、SNSなどの投稿を見ていると、リスク面の啓発が不十分だと感じることがあります。産科麻酔に携わる多くの先生がおっしゃっていますが、無痛分娩は痛みだけが無くなる魔法ではありません。血圧低下や頭痛、吐き気など以外にも、分娩が長引いたり、計画無痛だと初産の場合帝王切開が増える可能性があったり、機械分娩(吸引・鉗子分娩)が多くなる可能性があったり、お産の経過に影響しうることが知られる必要があると思います。痛みは母子の愛着形成にプラスになるものではありませんが、一方で、スムーズにお産が進行することも母子にとって大きなメリットです。そのあたりの情報提供がもっと増えると良いと思います(crumiiでも色々企画しています)。
また、東京都が作成した「無痛分娩をお考えの皆さまへ」という動画が、網羅的で素晴らしいので是非ご覧ください。
クオリティはどう維持、評価していくべきか
2017年ごろに無痛分娩による深刻な合併症例が複数報道されたこともあり、産科麻酔の医療体制はどうあるべきか議論されてきています。もちろん大規模な施設で、麻酔科医と産科医と新生児科医が揃った体制で行えるに越したことはありませんが、そうなると現実的に無痛分娩を希望する妊婦のニーズに応えきれなくなってしまいます。実際には十分に研修して経験のある産科医の管理下で問題なく無痛分娩行われていることも多く、前述の厚労省の作成した「『無痛分娩の安全な提供体制の構築に関する提言』に基づく自主点検表」でも麻酔科医が必須とはなっていません。このあたりもどういった基準にしてクオリティを保っていくのか、さまざまな意見があると思います。
東京都とそれ以外の県の格差がますます大きくならないか
東京都は医療機関や医療従事者の数に恵まれ、税収も多く、このような助成制度の実現が可能かもしれませんが、他の県はそうもいかないところが多いと思います。この助成制度の導入が産科麻酔に携わる医療従事者の偏在や地域間の妊婦の無痛分娩アクセス格差を広げることになるのではと思います。こちらに関しては国全体の問題として考えてもらいたいです。
無痛分娩へのニーズが高まっているため、今回の助成制度は妊婦やこれから妊娠するかもしれない都民のみなさんからはとても好意的に受け止められているように思います。
産む側からすると無痛分娩ができない理由はアクセス面や金銭面によるところが大きいと思いますが、医療側からすると浅く広く配置されている周産期医療体制や、産科麻酔のスペシャリストの絶対的な不足など、妊婦への助成金だけで解決できない原因も大きいです。
Crumiiでは無痛分娩について深掘りしていきたいと思います。
この制度が現在日本が世界に誇れる「安全な出産」を損なうことなく、妊婦さんがより安心して苦痛が少なく産めるような社会の実現に寄与してくれることを願います。
【参考資料】
東京都福祉局「無痛分娩費用の助成」
厚生労働省「無痛分娩取扱施設のための『無痛分娩の安全な提供体制の構築に関する提言』に基づく自主点検表」
東京都福祉局「無痛分娩に関する都民向けアンケート調査結果」
公益社団法人日本麻酔科学会「日本麻酔科学会における産科麻酔に関する基本的な考え方」