
crumii編集長・宋美玄のニュースピックアップ #15
「妊婦は寿司NG」って本当?――妊婦を縛る過剰な制限とクソバイス
今回のニュースウォッチは、日本経済新聞の「『妊婦は寿司NG』の常識、元日清食品社員が破る 独立して商品化」というニュースについてです。
「妊婦は寿司NG」の常識、元日清食品社員が破る 独立して商品化(会員限定記事)
大手食品メーカーを辞め「妊婦向け寿司」を開発。31歳母が執念の起業(BUSINESS INSIDER・無料記事)
「妊婦は寿司NG」は常識か?
加熱寿司は、生ものを避けているけれどお寿司を楽しみたいという方にとっては、まさに福音です。開発された方の熱意や「妊婦さんにもおいしい寿司を届けたい」という気持ちは、非常にすばらしいものだと思います。
ただし、このニュースを見て多くの産婦人科医は、「妊婦は寿司NGって常識だっけ?」という反応でした。一方コメントを見ると「妊婦は寿司NG」と考えている人が非常に多かったです。これはそのように妊婦健診で「指導」されている人が多いことの証左でしょう。SNSで発言している産婦人科医と、現場で妊婦健診をしている産婦人科医の認識がずれているのかもしれません。
妊娠中のNG飲食物、その判断基準とは?
「妊婦は生魚を食べてはいけない」という見解は、厳密には科学的な裏付けがあるわけではありません。生魚に食中毒や寄生虫などのリスクがあることは確かですが、これは生魚に限らず、他の多くの食品にも共通するリスクです。一方で、妊婦が特に注意すべきとされるのは、生焼けの肉や、加熱していないナチュラルチーズ(特に外国産のもの)、非加熱の生ハムなど、リステリア菌やトキソプラズマ感染のリスクがある食品です。生魚、つまり刺身や寿司は、「避けるべき」とまで強く言えるものではなく、衛生管理が行き届いた店舗で新鮮なものを適切に摂取すれば、多くの場合大きな問題はないとされています。
妊娠中の食べ物には、リスクの程度に差があります。完全に避けるべきとされるもの、量を摂りすぎない方がよいとされるもの、そして避けるほどの根拠はないが推奨されないものというように、リスクを分けて考える必要があります。完全に避けた方がいいのは、母子感染から胎児に先天異常を生じるリスクのあるトキソプラズマ感染の可能性のある食べ物です。前述のように、生焼けの肉や加熱していないナチュラルチーズ、非加熱の生ハムなどです。少量なら問題ないけれど、摂りすぎに注意が必要なものとしては、ビタミンAを多く含むレバー類やうなぎ、水銀を多く含むマグロやカジキなどの大型魚が挙げられます。厚生労働省の資料では、クロマグロやメバチマグロは1日15g程度までの摂取が目安とされています。生魚そのものは、十分な衛生状態で管理されているものであれば、避けるべき食品にはあたりません。お寿司は「NG」ではないので食べていただいてもいいですし、やっぱり気になるという方は、記事にある加熱寿司を楽しまれるといいでしょう。
「冷やすな」「太るな」──なくならない「一億総姑現象」
妊婦へのアドバイスや指導が、食べ物に限らず過剰に行われる場面は少なくありません。「冷やさないように」「塩分を控えて」「体重が増えすぎないように」といった言葉が、妊婦本人に求められてもいないのに繰り返される状況が日常的にあります。

特に冷えに関する誤解は根強く、夏の暑い時期に裸足でサンダルを履いている妊婦に対して、「靴下を履け」「腹巻きをしろ」といった指摘がされることもあります。しかし実際には、妊娠中は血液量が増えるため、妊娠前よりも暑がりになる人が多く、冷えよりも熱中症の方がはるかに大きな健康リスクです。
体重についても誤ったアドバイスが依然として多くあります。かつては「体重が増えると難産になる」というイメージが広く信じられていましたが、現在はその見解は見直されており、国立成育医療研究センターの指針によれば、妊娠前に標準的なBMIだった女性は12〜15kg程度の体重増加が望ましいとされています。にもかかわらず、一部の医療従事者が旧来の基準に基づいて妊婦を叱責したり、個人の独自ルールを強制したりすることがいまだにあります。これは科学的知見のアップデート不足だけでなく、妊婦に対する上から目線の態度、いわゆるパターナリズムの問題でもあります。
「念のため」制限で妊婦の自由を奪わないで
妊娠中に「これは食べてはいけなかったのでは」と不安になった場合、あるいは「体調に異変がある」と感じた場合は、速やかにかかりつけの医療機関に相談することが最も確実で安心な対処です。ただし、妊婦が何を食べたか、どのように過ごしているかに対して、本人の事情を知らない赤の他人が責めるような言動をするのは明らかに行き過ぎです。
「とりあえず全部禁止しておけば安全」という姿勢は一見安全そうに見えて、実際には妊婦本人の選択肢を奪い、ストレスや罪悪感を生んだり、結果的に偏った食生活になってしまいます。妊婦の行動を「念のため」制限するよりも、信頼できる情報を提供し、個々の状況に応じた判断を支援することが、これからの社会に求められていることではないでしょうか。

それにしても、妊婦を見かけるとつい何か口を出したくなる人が多いのはどうしてなのでしょうか。まさに「一億総姑現象」だと思います。妊婦さんがあなたにアドバイスを求めているのか、まず立ち止まって見極めてください。望まれていない助言は、善意でも押しつけになりかねません。
以下は、妊婦と食に関する信頼できる公的な情報源です。正確な知識に基づいて、必要なサポートを行うことが大切です。
妊婦への魚介類の摂食と水銀に関する注意事項(厚生労働省)
妊娠中・育児中の食中毒予防について(厚生労働省)
体重増加の新基準(国立成育医療研究センター)
宋美玄
丸の内の森レディースクリニック院長、ウィメンズヘルスリテラシー協会代表理事産婦人科専門医。臨床の現場に身を置きながら情報番組でコメンテーターをつとめるなど数々のメディアにも出演し、セックスや月経など女性のヘルスケアに関する情報発信を行う。著書に『女医が教える本当に気持ちのいいセックス』など多数。
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