44歳で子宮全摘、今初めて明かす術前術後の心の揺らぎ──漫画家・東村アキコさん
言わずと知れた人気漫画家・東村アキコさん。特に女性のキャラクターにリアリティがあり、生き生きと描写されているのも人気の理由のひとつでしょう。現在も『銀太郎さんお頼み申す』ほか、複数を連載中と精力的に活動をつづけています。
そんな東村さんが、これまで公に語ってこなかったのが、20代から長く抱えてきた子宮筋腫と、44歳で迎えたある決断。その過程で感じたことや気づきを、いま、はじめて明かしてくれました。
40代で直面した「ふたつの選択」
私の前には、ふたつの選択肢が提示されていたんですよ。子宮にできた筋腫だけを切除するか、子宮を全摘出するか。
子宮筋腫とは長いつきあいで、20代までさかのぼります。生理のときに経血量が多いので病院にいったら、「筋腫が3個ほどありますね」と診断されました。でも経過観察といわれたし、よくあることと思ってあまり気に留めませんでした。
月経過多以外は、10代からずっとPMSや生理痛もなく、生理中でもいつもと変わらず仕事できていたんです。ただ、電車で倒れたり、ライブに行ってもずっと立っていられなかったり、貧血の症状が出ることは多かったですね。
29歳で出産をしてからも変わらずで、病院で毎回「かなり大きな筋腫がありますね」と言われはしますが、手術という話にはなりませんでした。

なのに40代に入ってから、理由はわからないんですけど、筋腫が急に大きくなったんですよ。韓国アカスリにいくと、施術してくれる人に「大きいのあるね、これヤバいね!」って言われるくらい。仕事中も、座っているとお腹が圧迫されているような苦しさがありました。
そこで、ホルモン療法をはじめました。女性ホルモンの分泌を止め、一時的に閉経状態にすることで筋腫を小さくする目的です。更年期と同じ状態になるので、ホットフラッシュも起きてつらかったのですが、筋腫はまったく小さくならなくて……。
医師から「もうそろそろ取りましょうか」といわれたのが、44歳のときです。
ふたつある選択肢のどちらにするか──。医師の説明では、「全摘出のほうが治りが早いですよ」ということでしたし、私のまわりには、40代で子宮筋腫の治療した経験がある女友だちが何人もいるのですが、みんな筋腫だけ切除する手術で、術後にとてもしんどそうだったんですよ。
産む気があればまだまだ産める年齢だと思っていたけれど……
じゃあ全摘、と気持ちが動いている私に、医師が聞いたんです、「もうご出産は予定してないですよね?」って。
私はすでにひとり産んでるし、産む予定もなかったけど、それでもぎくっとしました。産んでない人が同じこと言われたら、そりゃつらいと思います。医師に「いまの私の年齢だと、妊娠そんなにむずかしいですか? 体外受精しても? 40代で出産している芸能人、結構いません?」と質問したら、医師が表を見せてくれたんです。
生殖医療を利用しての、年齢別の妊娠率・出産率を示したものでした。無知な私は、体外受精をすれば40代でもわりと妊娠できると思っていたんです。まわりの友人らも、「40歳になったし、さすがにもう産まないと! 体外受精するわ!」という感じだったので、産む気があればまだまだ産める年齢という認識でした。
ところが、表には44歳だと妊娠率が7%ぐらいで、出産率は4%ぐらいとあったんです。私、そのころ韓国のオーディション番組「PRODUCE 101」にハマっていたんですけど、アイドル志望者101人から11人を選ぶんですよ。11人に入るって奇跡みたいなことなのに、それより確率が低いって!! と心底驚きました。
後押しとなったのは宋先生の一言
子宮に特別な想いがある女性も少なくないですよね。「女性は子宮でものを考える」っていうのは、都市伝説みたいなものだと思っていますが、子宮を摘出するとなると、将来子どもがほしい人、恋人がいて結婚を望んでいる人などなど、女性一人ひとり背景が違うから、思うところも人それぞれでしょう。「女じゃなくなるんじゃないか」「パートナーに言いにくいな」と悩む人もきっといますよね。
私は、産婦人科医の宋美玄さんから「子宮は筋肉の袋です。妊娠のときだけ役に立つ臓器」と聞いたことがあって、なるほど〜と思っていたし、もういいか! と全摘出を決めました。
内視鏡手術を予定していたのが、筋腫が大きくなりすぎていて、直前で開腹手術に変更になりました。結局、私の子宮は1.6kgあったそうです。そりゃアカスリの人も気づきますよね。
子宮全摘を公言できなかった理由
術後は、傷の痛みはありましたがそれ以外に大きなダメージはなく、5日間の入院を経て、退院後にはすぐ仕事にも復帰しました。
その後は、本当に体調がよくなったんです。元気になって、あぁ悪いものを摘出したんだなぁと感じました。体重も減ったけど、これは活動的になったからかもしれません。
うれしかったのが、着物をいつでも楽しめるようになったこと。私は着物が大好きなのですが、それまでは生理中は着なかったんですよ。怖くて。着物仲間にも子宮を摘出した人がいるのですが、ふたりで「ほんと楽になったよね!」と話しています。
一方、周囲の反応には戸惑うこともありました。「えっ、全摘出しちゃったの!?」と驚かれたり、「それってセックスできるんですか!?」と遠慮なく聞かれたり、私はあんまりポジティブではない印象をもったんです。これはむやみに言わないほうがいいのかなという気がして、子宮筋腫の治療をしたことは話しても、全摘出についてはごくかぎられた人以外、伏せておくようになりました。だから、子宮摘出について表立ってお話するのは、今回がはじめてなんです。
女性に囲まれて仕事をするということ
女性ってたいへんだな、と思います。体調に波があるし、男性の倍がんばらないと同じ結果が出せないこともあるし、世の中の女性、ほんとすごいなと思います。私は生理の困りごとはほとんどなかったし、出産もスムーズ、その後の育児も仕事も若くて体力があったのでなんとかなりましたが、それはたまたまラッキーだったということでしょうね。生理がしんどいタイプだったら、同じ仕事量はこなせなかったと思うんです。
生理って、個人差がほんとに大きいですよね。自分が平気だから、学生のときは生理が重い人をたいへんだと思いつつも、「そんなに……?」と思うことはありました。口に出しては言わなかったですけどね。元気な人の基準で考えちゃダメだと思ったのは、アシスタントとして女性たちに来てもらうようになってからです。自分は上司の立場になるわけなので、生理であれ何であれ、誰だって体調が悪いときがあるということを前提に、仕事を進めるようにしました。
正しい情報や考え方に触れることが大事
私が現在50歳で、いまのところ更年期症状もなく、元気に暮らしています。女性の身体や健康については、いまも眉唾なものや偏ったものが多いですよね。迷信みたいなものも少なくないようです。
筋腫だけの摘出か、全摘出かを決めるとき、私は正しい情報や考え方に触れたおかげで、自分にとってよりよい判断ができたと思っています。なんなら、もっと早く摘出すればよかった。そのぐらい、いまが快適なんです。
いま迷っている方がいるなら、一人ひとり背景も考え方も違うということも踏まえたうえで、「私は摘出したことで、いいことしかなかったです」とお伝えしたいです。
東村アキコ
宮崎県出身。漫画家。’99年『フルーツこうもり』でデビュー。
’08年に連載を開始した『海月姫』で第34回講談社漫画賞を受賞。代表作に『ママはテンパリスト』『ひまわりっ ~健一レジェンド~』『東京タラレバ娘』など。恩師との実話を基に描いた自伝的作品『かくかくしかじか』は’25年に映画化され大ヒット。脚本に参加したことでも話題に。現在「ビッグコミックオリジナル」(小学館)にて『まるさんかくしかく』、「ココハナ」(集英社)にて『銀太郎さんお頼み申す』を連載中。
三浦 ゆえ
編集者&ライター。出版社勤務を経て、独立。女性の性と生をテーマに取材、執筆を行うほか、『女医が教える本当に気持ちのいいセックス』(宋美玄著、ブックマン社)シリーズをはじめ、『小児科医「ふらいと先生」が教える みんなで守る小児性被害』(今西洋介著、集英社インターナショナル)、『性暴力の加害者となった君よ、すぐに許されると思うことなかれ』(斉藤章佳・にのみやさをり著、ブックマン社)、『50歳からの性教育』(村瀬幸浩ら著、河出書房新社)などの編集協力を担当する。著書に『となりのセックス』(主婦の友社)、『セックスペディアー平成女子性欲事典ー』(文藝春秋)がある。













