気になるキーワード「無痛分娩」#06
【無痛分娩・覆面座談会】「公には言えない」医療の裏側にある課題
無痛分娩は、妊婦さんにとって快適な「サービス」である以前に、高度な専門知識と厳格な管理体制を要する医療行為です。2025年10月からは東京都で費用の助成が始まっていますが、現場からは「需要先行」「質の担保ができない」という意見も出ています。医療現場は本当に、需要に追いついているのでしょうか。
今回、産科医療の最前線に立つ4名の医師に、あえて匿名を条件に「公には言いにくい」現場のリアルな課題を語っていただきました。
【参加者】
A医師:産婦人科医(クリニック勤務)
B医師:麻酔科医(主にクリニックや民間病院で活動)
C医師:麻酔科医(大学病院勤務)
D医師:産婦人科医(大学病院勤務)
※産婦人科医と麻酔科医で視点が異なるため、専門に基づいて話者の色分けを行っています。
「安全性は本当に担保できる?」──ブームと供給体制の歪み

無痛分娩そのものは安全な医療ですが、質の担保が課題となっています。まずはそれをテーマに話し合っていただきました。
B医師(麻酔科・クリニック系):無痛分娩は女性の権利であり、痛みのトラウマを回避し、体力を温存して万全の状態で育児に臨むという医学的メリットは計り知れません。私自身、その普及には賛成の立場です。しかし、今は明らかに「需要先行」の状態。医療現場の供給体制、特に「質」が追いついていない危険性を、日々強く感じています。
A医師(産科・クリニック系):同感です。ここ数年で、「無痛分娩をやっていること」が分娩を扱うクリニックでは当たり前になりました。その需要に応えるため、十分なトレーニングや安全体制が整わないまま、「無痛、始めました」という施設が出てきているのではないか、という強い懸念があります。
B医師:まさにそこが核心です。今、日本で無痛分娩の麻酔を担っているのは、大きく分けて「麻酔科医」と「産婦人科医」です。そして、産科麻酔のトレーニングを積んだ麻酔科医は、絶対的に足りていない。結果として、多くの施設、特に我々が目にするクリニックでは産科の先生ご自身が麻酔管理を行っています。
A医師:産科医の立場から言わせていただくと、我々も非常に苦しい中、その対応をしています。産科医は「お産」のプロですが、「麻酔」のプロではありません。帝王切開は日常的に行いますが、その際の「脊髄くも膜下麻酔(腰椎麻酔)」と、無痛分娩の「硬膜外麻酔」は、似ているようでまったく異なる手技と知識が要求されます。
D医師(産婦人科科・大学病院系):A先生のおっしゃる通り、はっきり言って、私は無痛分娩の硬膜外麻酔のほうが、帝王切開で行う麻酔よりよほど難しいし、怖いと思っています。まず、使う針の太さが違います。硬膜外のほうが太く、狙う場所(硬膜外腔)が数ミリ単位の非常に狭いスペースです。数ミリずれて針が深く入りすぎれば、硬膜を突き破って「硬膜穿刺(こうまくせんし)」となり、術後に激しい頭痛を引き起こすことがあります。
C医師(麻酔科・大学病院系):しかも帝王切開の場合、患者さんのほとんどは手術台でじっとされていますが、無痛分娩の、さらにオンデマンドの患者さんは、陣痛で苦しんでいる妊婦さんです。急に陣痛が強くなって、「痛い!」と動いてしまうリスクとも隣り合わせですよね。
A医師:ええ。さらに言えば、脊椎の変形や側弯(編集部注:脊椎=背骨が、左右に曲がっている状態)がある方も珍しくありません。解剖学的な難易度が非常に高い手技なんです。
C医師:おっしゃる通りです。我々麻酔科医でさえ、産科麻酔は「特殊技能」として扱われます。それを産科医が一人で、陣痛管理と分娩の進行も同時に見ながら安全にできるのか?という疑問は当然あります。
医療の「サービス業化」と、マーケティングの罠

需要が急速に高まるにつれ、医療現場では新たな課題も生まれています。それは、医療の本質とは異なる「サービス競争」です。
B医師:最近、東京都の補助金開始に合わせて急に「無痛分娩を開始した」という施設が散見されますが、これは「補助金目当て」と言われても仕方がないでしょう。
無痛分娩は、医師一人の技術で完結するものではありません。医師の指示を正確に理解し、妊婦さんの状態を的確に判断できる助産師のスキルを含め、緊急時に即応できるチーム全体の熟練度が不可欠です。昨日今日始めた施設に、そのノウハウの蓄積があるとは思えません。
A医師:産婦人科ではこれまでも、患者さんを集めるために居室や食事の豪華さをアピールしてきました。それはそれで素晴らしい「サービス」ですが、それが医療の質とイコールではないことが、あまり知られてはいません。同業者なら誰でもわかることなんですけどね。
B医師:「サービスの質」と「医療安全の質」はまったく別の話ですよね。豪華な食事が、緊急時の対応力や医師の技術を担保してくれるわけではありません。妊婦さん自身も、出産時にかかる医療機関を「宿泊先」として選ぶのではなく、「自分の命を預ける場所」として選ぶという視点を持ったほうがいいと思います。
C医師:とはいえ、患者さんが医療機関の安全性をどう見抜けばいいのかという問題もありますよね。個人的には、マーケティングが上手な施設ほど、危険な香りがすることがあります。
この間、無痛分娩の料金を見ていたら「プレミアム麻酔」という表記を見かけたんですが、医学的に「プレミアム麻酔」などというものは存在しないじゃないですか。「プレミアムな解熱剤」や「ラグジュアリーな虫垂炎治療」が存在しないように。
B医師:それって完全に美容クリニックのノリですよね。医療ではなくマーケティングの考え方です。美容クリニックは自由診療の競争社会なので、そうしたアピールが必要なこともあるでしょうが、その手法を産科医療に持ち込むのはいかがなものかなと思います。
安全な麻酔を提供することは「当たり前」であり、そこに上下はないはずです。むしろ、そうした宣伝文句で患者さんを釣ろうとする施設の医療安全体制こそ疑うべきです。
A医師:サービス競争の結果、医療の本質が歪められていますよね。患者さんにも正しい情報が伝わっていない。
B医師:ええ。合併症のない健康な妊婦さんだけを選んで受け入れる、いわば「勝てる試合」だけをしておいて、「うちは安全です」「事故ゼロです」とアピールするところもあります。情報戦略が上手ですよね。
D医師:クリニックがリスクの低い患者さんだけを選別する傾向は、結果的にリスクの高い患者さんが集まる大学病院にしわ寄せがいく、という構造的な問題も生んでいます。
それが我々大学病院の負担につながってもいて、正直やるせない気持ちになります。大学病院や地域の基幹病院は、持病のある妊婦さんや容態が急変した妊婦さんの緊急搬送など、「難しい試合」も引き受けざるを得ません。
C医師:そうですね。我々大学病院は、そうした患者さんを受け入れているので、必然的に統計上の合併症率や帝王切開率は上がります。しかし、そうした症例を引き受け、対応できるノウハウと体制があることこそが、地域の医療を守る総合力の証だと思ってなんとか耐えています。
現場の「リアル」――技術格差とマスキングの恐怖
なぜ無痛分娩において、安全性を提供することがそれほどまでに重視されるのか――それには、こんな現場の事情がありました。
B医師:医療従事者側の技術格差も問題だと思います。無痛分娩の麻酔管理は「誰がやるかによって差が出る」じゃないですか。麻酔薬の注入方法一つとっても、質が分かれますよね。いまだに一定量をだらだら流す「持続注入」だけをしている施設も多いです。
A医師:その方法では、適切に痛みをコントロールするのが難しいですよね。陣痛には波がありますし、個人差も大きいから、麻酔薬をただ投与するだけでは、痛みのコントロールにはなりません。
B医師:無痛分娩に麻酔科医が立ち会う場合には、妊婦さん自身が痛い時に手元のボタンを押して追加投与できる「PCA(Patient Controlled Analgesia:自己調節鎮痛法)」を採用します。これには、ボタンが押された回数を見て「この患者さんは今、どれだけ痛がっているか」を我々が客観的に把握できるという利点があります。
このPCAを採用していない時点で、残念ながら麻酔管理の「解像度」は低くなってしまうんですよね。
A医師:我々産科医が麻酔科医に求めるのは、まさにその「解像度の高い」管理です。なぜなら、産科医は別の恐怖と戦っているからです。私が無痛分娩で最も怖いと感じているのは、麻酔によって重篤な産科的異常事態の症状がマスキングされて(隠されて)しまうリスクです。
B医師:マスキング、ですか。
A医師:例えば、常位胎盤早期剥離※1。これが起きていると通常なら妊婦さんは「立っていられないほどの激痛」や「お腹が板のように硬くなっている症状」を訴えるはずです。あるいは産後に起こることがある子宮内反症※2。これも凄まじい痛みを伴います。
しかし、無痛分娩で麻酔が効いていたら、妊婦さんは痛みを訴えません。「あれ、なんだか赤ちゃんの心音が下がってきたな」とモニターで気づいた時には、すでに取り返しのつかない事態になっているかもしれないのです。この恐怖は、経験した者でないとわからないと思います。
C医師:大学病院では、そのリスクが周知されているため、無痛分娩は、通常よりも厳重な監視が必要なお産だと認識されています。もしも無痛分娩の経験が浅いクリニックなどで、そうした認識が医師側にも助産師側にも徹底されていないと、大事故につながってしまいますよね。
D医師:「産科医が一人で陣痛管理も分娩も麻酔も全部見るのは、無謀に近い」といわれるのは、そのためですね。よほど体制が整っていない限り、難しいでしょう。無痛分娩が普及すればするほど、我々産科医は、「信頼できる麻酔科医に背中(麻酔管理)を任せたい」と切実に願っています。
※1 編集部注:子宮体部に付着している胎盤が、妊娠中または分娩中にはがれ落ちた状態になること。母子ともに重篤な障害をもたらす危険性が高い。
※2 編集部注:分娩をきっかけに子宮体部が反転する(裏返ってしまう)こと。激しい痛みと大量の出血を伴うため、ショック状態に陥りやすく、最悪の場合、母体の死亡につながることもある。
無痛分娩ブームに医療従事者はどう向き合うべきか

最後に、産科の医療従事者は無痛分娩にどう向き合うべきなのか、一言ずつコメントをいただきました。
A医師:無痛分娩が痛みをマスキングすることで、重篤な兆候を見逃してしまうという恐怖 を、現場の全スタッフが共有することです。特に我々産科医が麻酔も担う施設では、独善的にならず、常に最悪の事態を想定した監視体制を敷くこと。
そして、自施設の能力を過信せず、信頼できる麻酔科医や高次医療機関との連携を密にすることが、患者さんの安全を守る最低限の責務だと考えます。
B医師:まずはマーケティングに走る前に、足元を固めてほしいです。自施設の手技は本当に安全か。助産師との連携(チーム医療)は万全か。緊急時のシミュレーションは(口先だけでなく)本当に機能しているか。麻酔科医がいないなら、産科医は十分な研修を積んだのか。
「プレミアム」や「ラグジュアリー」といった言葉遊びではなく、医療安全という土台を徹底すべきです。
C医師:患者さんへの誠実な説明責任を果たすことが大切だと思います。「ラクになりますよ」というメリットだけではなく、器械分娩率が上がることや、ごくまれだが起こり得る重篤な合併症について、きちんと説明する誠実さが求められます。
D医師:我々医療者側も、患者さんに必要な情報が正しく伝わるような工夫が必要だと感じました。内装やサービスの豪華さではなく、「あの病院なら、万が一の時に母子の命を預けられる」という、医療の本質的な安全と技術で選ばれる努力を、我々自身がしていく必要がありますね。
【参考文献】
公益社団法人 日本産科婦人科学会, 公益社団法人 日本産婦人科医会「産婦人科 診療ガイドライン ―産科編 2023」
「病気がみえる vol.9 婦人科・乳腺外科 第4版」(メディックメディア)
“無痛分娩 Q&A”. 一般社団法人 日本産科麻酔学会,(参照 2025-10-26)
山本尚恵
医療ライター。東京都出身。PR会社、マーケティングリサーチ会社、モバイルコンテンツ制作会社を経て、2009年8月より独立。各種Webメディアや雑誌、書籍にて記事を執筆するうち、医療分野に興味を持ち、医療と医療情報の発信リテラシーを学び、医療ライターに。得意分野はウイメンズヘルス全般と漢方薬。趣味は野球観戦。好きな山田は山田哲人、好きな燕はつば九郎なヤクルトスワローズファン。左投げ左打ち。阿波踊りが特技。













