日本の医療制度を知る
福島県立大野病院事件が、現代の医療に残したもの【前編】
福島県立大野病院事件。
産婦人科医であれば知らない人はいない、歴史的な刑事裁判です。今回、crumiiでは、普段の医療解説とは少し角度を変えて、産科医療のたどった歴史について学んでみたいと思います。
その第一弾として、現代の産科医療、ひいては医療業界全体に大きな影響を与えたこの事件について解説していきます。
世界に誇る日本の産科医療の安全性は、これまでの産婦人科医、小児科医の連携とそのチーム医療の努力により、こつこつと積み重ねられてきたものです。医療技術がいくら発展しても、お産が命がけであることに変わりはなく、どんな方法になったとしても、お産や医療行為にはリスクが伴うのだ、ということを知っていただきたいと思います。
また、本記事は、昨今の医療分野における課題を語るうえでのこの事件の意義を、一般の皆様へ情報提供することを目的としたもので、ご遺族の方々を批判する意図は一切ないことを申し添えます。改めて、亡くなられた妊婦さんとそのご遺族に、心よりお悔やみを申し上げます。
事件の概要
癒着胎盤による出血と母体死亡
ときは21年前、2004年の12月にまでさかのぼります。 福島県立大野病院で、帝王切開術を受けていた妊婦さんがいました。赤ちゃんは無事生まれましたが、術中の大量出血(癒着胎盤によるもの)が止まらず、残念ながら、出血性ショックによりお母さんは亡くなりました。
「業務上過失致死」による医師の逮捕・起訴
この手術を執刀したX医師は、約1年2ヶ月後の2006年2月、業務上過失致死および医師法21条違反(異状死体の届出義務違反)の容疑で逮捕・起訴されます。
警察、検察は、「癒着胎盤の剥離操作を行ったこと」および「止血困難時に子宮全摘出の決断が遅れたこと」を過失として追及しました。
X医師はこの病院で唯一の産婦人科専門医であり、1人で年間200強の分娩を担っていました。
刑事介入に対する医療現場の反応
このことが明るみに出ると、医療界に衝撃が走りました。医療行為の結果(患者の死亡)に対して、医師が刑事事件として「逮捕」されたのです。
それまでも民事裁判における医療過誤訴訟はありましたが、刑事事件となると、医療現場での過失を「犯罪」として警察、検察が介入し、現職の医師を逮捕・勾留するという前代未聞の事態でした。様々なメディアで「ずさんな医療」「医師のミス」といった論調でセンセーショナルに報じられました。

全国の医師、特に産科で分娩に従事している医師たちは「明日は我が身だ」と戦慄しました。帝王切開の際に、出血性ショックで母体死亡、という事実だけをとれば、当時分娩を経験したことのある産婦人科医の身からすれば、X医師の置かれた状況は、自分にも十分起こりうることだったのです。
これまでの無痛分娩や帝王切開の記事でも解説しましたが、お産や医療行為は常にリスクを伴います。この事件で起きた処置や裁判の内容について細かくは語りませんが、多くの産婦人科医も出会うかどうかというレベルの、難しい症例でした。どんなに最善を尽くしても救えない命がある中で、その結果責任を「刑事罰」として問われることに、強い抗議と絶望感が広がりました。
この時代、今のように医師個人がSNSで異議を唱える環境は整っていませんでしたが、医療従事者のブログが複数立ち上がり、ものすごい数のコメントが集まりました。しかし、メディアの報道は過熱するばかり。これを危惧した多くの学会が、公式に抗議文や声明を出す事態に発展します。
声明文―福島県立大野病院の医師逮捕・起訴に関して― 日本医学会HP
判決は無罪。検察の控訴断念と確定
海外からも注目を集める中、X医師の裁判は進み、2008年8月20日に福島地方裁判所で無罪が言い渡されました。最終的に、検察が控訴審を断念したため、この判決をもってX医師の無罪が確定しています。
判決を受け、各方面の学会がこれを支持する声明を出しました。そして、この判決は、分娩にかかわる周産期医療界だけでなく、その後の日本の医療全体に多大な影響を与えることになります。
事件後の産科医療を取り巻く環境の変化
(ネガティブな側面)
産科医療崩壊の加速
判決がおりるまでの数年間のあいだ、X医師の逮捕をきっかけに、「リスクの高い産科医療からは手を引く」という動きが全国で加速しました。
産科医の減少、現場からの離脱
まず、産科医が激減しました。産婦人科の人手不足は当時からすでに顕在化していて、もともと医療崩壊は起きていた、といって差し支えないと思います。訴訟リスクを恐れた医師(特に若手)が産科を志望しなくなり、また現役の産科医も燃え尽き(バーンアウト)やリスク回避のためにお産の現場を去るケースが相次ぎました。この頃は、この事件以外のところでも「産科叩き」の報道が横行していた時代で(モラルに欠けた行動をする医師もいたのは事実なのですが)、産婦人科への風当たりが特に強くなっていました。
当時の状況を経験している医師たちは、病棟から次々と離脱していく仲間を見送るのは辛い経験だった、と口を揃えます。
こちらは産婦人科に従事する医師数の推移です。厚労省が行なっている2年ごとの統計によるものですが、平成14年から18年にかけて、医師数が減少しています。この現象についてはこの事件の影響だけではなく、医師国家試験に合格した研修医が、診療科を選択するシステムががらっと変わったという別の事情もあるのですが、そのお話はまた別の機会に。
こちらは、2000年から2024年までの産婦人科・産科に従事する医師数のグラフ。令和4年、令和6年の統計を組み合わせてcrumii編集部作成。
分娩取扱施設の減少と「お産難民」
産科医の不足により、分娩を中止する病院や診療所も増えました。実際に大野病院でも、一人で健診や分娩を担っていたX医師が逮捕、勾留されたことで産婦人科が閉鎖してしまいました。通院していた妊婦さんたちは、近隣の病院への転院を余儀なくされています。
以下は、日本産婦人科医会が発表した日本で分娩を取り扱っている施設数の推移です。少子化の影響もあり、全体としてはなだらかな下降線をたどっていますが、2007年から2008年にかけて一気に100件近い減少がみられます。これにより、「お産難民」という言葉が生まれるなど、地域の産科医療に空白地帯が生まれました。この流れは、20年たったいまも解決しておらず、特に地方の分娩施設不足は、地域格差として問題になっています。

全国の分娩取り扱い施設数の推移。2007年から2008年にかけて極端な減少がある。
日本産婦人科医会 データでみる産婦人科医の今 よりcrumii編集部作成
ハイリスク分娩の受け入れ困難と社会問題化
さらに、大野病院のケース(癒着胎盤)のような困難な症例を扱うリスクを恐れて、ハイリスクな妊婦さんの受け入れを断る病院が増加し、いわゆる「妊婦のたらい回し」が社会問題化しました。この傾向は同じ時期、母体死亡という最悪の結末に至る大淀病院事件を引き起こすことになるのですが、この事件についても別途、別の記事で解説します。
「防衛医療」の広がり
産科に限らず、医療全体に「萎縮」が広がったことも大きな悪影響です。前例ができたことで、医療施設は刑事訴追を恐れなければならなくなり、患者さんに訴えられないように配慮する医療(=ディフェンシブ・メディスン)を行う傾向が強まりました。
例えば、リスクの高い手術や処置を避ける、検査を行って責任逃れの材料を揃えておく、少しでもリスクがあれば自院で完結させずすぐに大病院へ紹介する、といった対応です。
医師・患者関係にも影響がありました。患者さんを「性善説」でなく、常に訴訟リスクを前提とした「性悪説」的な関係で捉える風潮が生まれてしまい、信頼関係が損なわれた側面があります。患者さんに何かあったとき、「説明しましたよね」「書いてありますよね」と言える書類を残しておく必要があるのです。手術や施術をするために、あらゆるリスクを記述した膨大な書類の説明や同意書のサインをするのはこのためです。

ただし、これには良い面もあります。かつて、医師の権限が強く、患者さんは主治医の言いなりになるしかない、という雰囲気の時代がありました。インフォームドコンセント(十分な説明に基づく同意)という概念が浸透して、患者さんが治療に関する選択肢やリスクやベネフィットの情報を得たうえで、最終的には患者さん自身がどうするか決める、という考え方が一般的になってきました。
crumiiが情報提供を通じて目指すのもまさにこの姿であり、この20年あまりで、この考え方が当たり前になったのはとても良いことだと思います。
しかし、この事件が残した爪痕は深く、医療現場は一時、暗いムードに包まれました。そこから日本の産科医療はどのようにして立ち直り、安心してお産にのぞめる仕組みを作り上げてきたのでしょうか。後編では、事件をきっかけに生まれた新たな制度や、司法が示した重要な判断について解説します。(後編へ続く)
参考文献
別冊Jurist 医事法判百選 第3版 株式会社有斐閣
令和6(2024)年医師・歯科医師・薬剤師統計の概況
なぜ、無実の医師が逮捕されたのか 安福謙二 株式会社方丈社
















