
婦人科の病気 体験シリーズ:子宮頸がん 前編
「子どもは諦めたくない!」不妊治療のため受診した産婦人科で子宮頸がんが見つかった女性が選んだ治療法
「そろそろ不妊治療を始めようかな」……そんな気持ちで産婦人科を受診したところ、思いがけず「子宮頸がん」の診断を受けたノリコさん。「どうしても子どもは諦めたくない」と思った彼女が選んだ治療法とは。
不妊治療のために受診したのに
「子宮頸がん検査の結果、細胞診クラス3b高度異形成でした。もしかしたら子宮頸がんかもしれません。大学病院に紹介状を書きますので、なるべく早く受診してくださいね」
34歳のとき、不妊治療のために訪れた産婦人科クリニックでさまざまな検査を受けた結果、医師からこう告げられたノリコさん。
それまで子宮頸がん検診を受けたことはなかったものの、たまに性交後に不正出血があるくらいで、月経に異常はなく、おりものもなく、特に自覚症状はなかったそうです。だから、「不妊だけじゃなくて、子宮頸がん⁉︎」と予想外のことに頭が真っ白になったといいます。
子宮頸がんとは、子宮の入り口である「子宮頸部(しきゅうけいぶ)」に発生するがんのこと。発症年齢のピークは30歳台後半で、ちょうど妊娠出産の時期に重なるため「マザーキラー」と呼ばれることもあります。その多くはHPV(ヒトパピローマウイルス)に感染することで起こり、今ではHPVワクチンで大部分を予防できるものの、性交渉の経験がある全ての人が感染する可能性があるのです。
「夫と結婚したのは27歳のとき。いつか子どもを授かるといいなと思いつつ、特に急いでもいなかったので自然に任せ、夫婦2人で旅行にいったり食べ歩いたりして楽しく暮らしていました。でも、34歳になっても妊娠しなかったので、不妊治療を受けるために産婦人科クリニックに行ったら、それどころじゃなくなって……」
地元の大学病院で精密検査を
すぐに紹介された地元の大学病院を受診して、コルポスコープで組織をとって調べる精密検査を受けたところ、年配の担当医に「上皮内がんの疑いがあります。でも、ごく初期だから、そんなに心配しなくても大丈夫ですよ」と言われ、ノリコさんとダンナさんは胸をなで下ろしたそうです。
子宮頸がんは進行度によって、がんになる前の「子宮頸部高度異形成」「上皮内がん」、がん細胞が子宮頸部にとどまる「I期」、子宮頸部を超えているけれども骨盤壁や膣下1/3には広がっていない「II期」、リンパ節や子宮の周りへと広がっている「Ⅲ」や「Ⅳ期」にわかれ、さらに各期ごとにABCといった段階に細かくわかれています。ノリコさんは、そのもっとも軽い段階だと診断されたのです。

そこで「子宮頸部円すい切除術」を行うことになりました。この手術は、子宮頸部の病変部分のみを円すい型に切除するというもの。IA1期までの初期のがんであれば、こうして子宮を温存することができ、妊娠出産の可能性を残せるのです。一方、がんが進行している場合は、一般的には子宮を全摘することになります。
「私は、がんの進行が怖かったし、絶対に子どもがほしかったので、1日も早く手術を受けたいと伝えたのですが、担当医は『半年手術をしなくても進行しないくらいだから大丈夫』という返答で、そんなふうに言ってくださるくらいなら心配ないだろうと思いました」

子宮頸部円すい切除術のあと
ところが、約2か月後、地元の大学病院に入院し、子宮頸部円すい切除術を受けたところ、同じ医師から伝えられた言葉は「えぇ〜厳しい状況になりました。実際に手術をしてみたところ、意外と浸潤していて『ⅠB1』だったので、標準治療では『広汎子宮前的術』……つまり子宮を取ることになります」というものだったのです。
「耳を疑いました。あんなに気ラクな感じで大丈夫だと言っていたのに、だから安心していたのに、と怒りが湧いてきて、『子宮全摘以外に方法はないんですか?』『どうしても子どもを産みたいんです』と詰め寄ったところ、『トラケレクトミー(広汎子宮頸部摘出術)』という新しい治療法があることを教えてもらうことができました」
トラケレクトミーとは、子宮頸部とその周辺のみを摘出し、子宮体部と卵巣などを残す手術で、妊娠出産の可能性を残すことができます。なお、適用になるのは、子宮頸がんの初期である「ⅠA2」〜「ⅠB1」期の場合です。
「ただ、私がかかっていた病院では、当時まだ実績は一例のみ、とのことでした。しかも、その一例は他の大学病院から指導してくれる医師がきて、一緒に手術したのだとか。今回は指導者なしでやることになると言われ、とても不安な気持ちになりました」
大反対する家族を説得して
自宅に戻ったノリコさんが「トラケレクトミーを受けたい」と言ったところ、ダンナさんは大反対。他の家族に伝えても、みんなが反対でした。「もしもがんを取りきれなかったら」「子どもよりも自分の命を優先してほしい」と、子宮全摘出をすすめてきたのです。
もちろん、転移や再発が怖いというのは当事者であるノリコさんこそ、よくわかっていました。でも、この時点でも、やはり「絶対に子どもを産みたい」という気持ちが強かったので一生懸命に説得したそうです。
そんなノリコさんの気持ちを汲んでくれたのが、ダンナさんのお母さんでした。わざわざ図書館に足を運んで子宮頸がん関連の新聞記事や医療書を読み、コピーを取って、ノリコさんにさまざまな情報を知らせてくれたのです。
「本当に嬉しくて心から感謝しました。と同時にインターネットが使えなくても、これだけ情報を集められるんだと感心しました。それで私も子宮頸がんの治療法について調べたところ、隣県の大学病院の産婦人科はトラケレクトミーの症例数が多く、名医とされる医師がいることがわかったんです」
そこで、ダンナさんが隣県の大学病院に手紙を書いてセカンドオピニオンを受けようとしたところ「セカンドオピニオンと言わず、こちらで診ますから、診療情報を持って受診してください」との返事が来ました。こうして、ノリコさんは地元の大学病院から診療情報を受け取り、すぐに転院することになったのです。
「私、このままだと死にますか?」
その後、自宅から高速道路を使って片道2時間かかる隣県の大学病院を受診すると、医師の対応が全然違ったそうです。子宮頸がんやトラケレクトミー、不妊治療について、なんでもわかりやすく丁寧に教えてくれたのです。ひと通りのことを聞いたノリコさんは、最後にある質問をしました。
「先生。私、このまま手術を受けないと死にますか?」
こんなことを聞くのはおかしいかな、と思ったものの、自覚症状がないからこそ、今は元気だからこそ腑に落ちなくて、どうしても聞きたかったそうです。すると担当医は笑うことなく真面目に、こう答えてくれたといいます。
「絶対ということはありませんが、このまま治療をしないと、ほぼ確実に亡くなります」
この答えを聞いて決意が固まり、「じゃあ、仕方がないですね。手術します。先生、よろしくお願いします」と答えたノリコさん。
このときまで悩みに悩んで、5kgも痩せてしまったのだとか。というのも、トラケレクトミーを選んでも、不妊症もあるため、必ず妊娠出産できるという確証はありません。しかも、たとえ手術が成功しても、不妊治療を始められるのは1年後から。あまりに困難かつ長い道のりに思えて、踏ん切りがつかなかったそうです。
4か月後、ノリコさんはトラケレクトミーのために隣県の大学病院に入院。夏に円すい切除をし、秋にトラケレクトミーを受けることになったことを「こんなに立て続けに手術を受けることになるとは思いもしませんでした」と話します。
入院後は、すぐに手術の準備が開始されました。血液検査をしたり、MRIを撮ったり、いざというときの輸血用に自分の血液を取っておく「自己血貯血」をしたり。手術前日には、膣の中に注射を入れて手術部位がよくわかるよう色をつける処置も行われたとか。
そうして、いざ手術へ行くときは、もう覚悟が決まっていたそうです。
(後編に続く)
大西まお
編集者、ライター。出版社にて雑誌・PR誌・書籍の編集をしたのち、独立。現在は、WEB記事のライティングおよび編集、書籍の編集をしている。主な編集担当書は、宋美玄著『産婦人科医ママの妊娠・出産パーフェクトBOOK』、森戸やすみ著『小児科医ママの「育児の不安」解決BOOK』、名取宏著『「ニセ医学」に騙されないために』など。特に子育て、教育、医療、エッセイなどの分野に関心がある。