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婦人科の病気 体験シリーズ:子宮頸がん 後編

子宮頸がんの手術後、不妊治療した女性が出産するまで…「今でも娘がいることが不思議に思えます」

不妊治療のために受診した産婦人科で子宮頸がんが発覚し、二度の手術を経てから、不妊治療を開始したノリコさん。術後の回復も大変でしたが、不妊治療、妊娠生活もとても大変だったそうです。

手術成功後も新たな試練が

子宮頸がんになり、子宮を温存する手術「トラケレクトミー」を受けることになったノリコさん。リンパ節を全部取ると浮腫がひどくなるため、手術中にリンパ節への転移があるかどうかを調べる「センチネルリンパ節生検(SLNB)」を希望していました。転移していた場合のみ切除することで、最小限にとどめたのです。

長い手術を終え、麻酔が切れて目が覚めると、ダンナさんがそばについてくれていて、医師からは「手術、うまくいきましたよ」と伝えられ、心からホッとしたそうです。ところが、ここからまた新たな戦いが始まりました。

この手術では尿を出し切ることができない「排尿障害」が起こりやすく、放置すると膀胱炎や尿路感染症のリスクがあるため、すぐに自分でカテーテルを挿す練習が始まったのです。

「看護師さんと一緒にトイレの個室に入って、鏡を見ながら尿道にカテーテルを入れる練習をするのですが、これが痛いし、恥ずかしいし、本当に大変でした。手術自体より、こっちが嫌でしたね。早く自宅に帰りたいとばかり思っていました」

自己導尿 尿道カテーテル
photo: PIXTA

また、へその横から縦に大きく切る開腹手術だったので、おなかの傷が痛いのもつらかったそうです。「退院後も動くたびにイタイイタイと言っていました」とノリコさん。ただ、幸いにも、おなかの痛みの傷は少しずつ治り、また排尿障害もほぼなくなったといいます。

「今では痛みはなくなり、排尿障害もちょっと残尿感がある程度。また、むくみもさほど気になりません。少しずつ治って落ち着きました」

およそ1年後に不妊治療を開始

経過観察を経て約1年後、ノリコさん夫妻は同じ大学病院で不妊治療を開始したそうです。

当初の不妊治療のための検査の結果、不妊の理由ははっきりとわからないものの、年齢的にも年数的にも自然に任せて妊娠しないのは「何かあるだろう」と言われていたとのこと。

「子宮頸がんの手術前からの計画で、たまたま主治医の1人が不妊治療の部門に移動になったので、継続的に診てもらえることになり、とても安心できました」

通常の不妊治療と同様に、最初は排卵日を予想し性交渉を行う「タイミング法」からスタート。しかし妊娠することはなく、濃縮した精液を子宮内に注入する「人工授精」、体内から取り出した卵子と精子を受精させて子宮内に戻す「体外授精」、体内から取り出した卵子に精子1匹を注入して受精させて子宮に戻す「顕微授精」とステップアップしていきました。

「そもそも結婚以来、何年も何年も自然に任せていて妊娠しなかったし、もうあまり時間がないので体外受精からスタートさせてほしい、という気持ちでした」とノリコさん。

顕微授精の2回目も着床せず、月経がきてしまったときには、とても落ち込んだそうです。

「もうダメだろう、3回目の顕微授精を最後にしようと思って、その前に夫婦でタイヘ旅行へ出かけました。こういう風に夫婦で旅行に行く人生も楽しいなって思って」

3回目の顕微授精で妊娠が成立

3回目の顕微授精後の判定日。ふと気づくと、月経のような出血があり「ウワーもう生理が来た! やっぱりダメだった!」と思いながら病院へ。

診察室で「ダメだと思いますけど……」と言うノリコさん、「一応、診てみましょう」と言う医師。そして、エコー検査の結果、医師が「ノリコさん、着床していますよ!!!」と小さく叫んだのです。

「本当にびっくりしました。でも出血はひどかったし、まだ心拍は確認できないし、夫婦して喜ぶどころかしょんぼりしたまま、ランチを食べにいったのを覚えています」

少しして無事に心拍が確認できたときには、とても嬉しかったそうです。でも、トラケレクトミーで子宮頸部をすべて切除しているノリコさんは流産しやすいため、常に安静が必要になります。医師からは「とにかく安静に、できるだけ寝転がってて」と言われたそうです。

「妊娠10週からは安静のために入院するよう言われていたのですが、ちょうどその頃に夫が泥酔して崖から転落し、頭を負傷して入院してしまいました。それで、私の入院を遅らせることに。本当に『何してくれてんの?』と怒りました」

ノリコさんは、ダンナさんが退院した妊娠17週頃に入院。子宮頸部がないため、子宮口を縫って縛って開かないようにする手術を受け、そこから産むまでずっと入院生活です。トイレ以外は、検査に行くときも、シャワーを浴びに行くときも、買い物に行くときも、常に車椅子で移動。そして、子宮が収縮しないよう常に点滴をし続ける生活でした。

さらに、入院中、おなかの中の子どもに先天性疾患があることがわかって、ノリコさんは精神的にも追い込まれたそうです。「とにかく無事に生まれてほしいと祈るような気持ちで、よくエコー写真を眺めていました」とノリコさん。

待望のかわいい赤ちゃんが誕生

ノリコさんは、妊娠36週に予定帝王切開で、2000gのかわいい女の子を無事に出産。トラケレクトミーでおなかを大きく切っているため、40週まで待つと子宮が破裂する恐れがあり、少し早めの出産になったのです。

「娘の誕生はとても嬉しかったんですが、病気の治療のためにすぐ『NICU(新生児集中治療室)』へ行ってしまったので不安で、心配で。私にできるのは、初乳をあげることしかないと思い、帝王切開術の直後から必死で搾乳しようとして、看護師さんや助産師さんに『体を休ませてください』と止められました」

がんの手術のときと帝王切開では、術後の体調が全然違ったといいます。

「がんの手術のときは1か月後でも強い痛みを感じたんですが、出産のときは脳内麻薬でも出ていたのか、娘のことで頭がいっぱいで自分のことはどうでもよかったからか、直後からあまり痛みを感じませんでした」

ノリコさんは約1週間で産婦人科病棟を退院し、次は娘さんが入院している小児病棟で付き添い入院をすることに。妊娠前からの長い入院と出産でくたびれ果てているのに、毎日小さなベッドに添い寝をして、これはさすがに本当に大変だったそうです。

「しかも、娘に先天性疾患があることで、自分を責めてしまって。母親である私が高齢だったからじゃないか、顕微授精による妊娠だったからじゃないか……医学的に因果関係はないのですが、当時はそう思うのをやめられませんでした」

退院後も「子どもが生まれてバンザーイ」というよりも不安や心配が募る時期が続いたといいます。それでも、子どもが初めて歩いた日、誕生日を迎えた日、少しずつ落ち着いていき、かわいさを実感することができるようになったそうです。

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photo: PIXTA

振り返るとどうだったのか

「今でも、娘が家にいることを不思議だなって思います。不妊治療をしようと産婦人科クリニックを訪れた日から、本当にいろいろことがあって、道のりが長かったので(笑)」

そう話すノリコさんに、子宮頸がんの治療から不妊治療、出産までを振り返ってみて、どんなことが頭に浮かぶのかを聞いてみたところ……。

「やっぱり若いときから、もう少し自分の体を大切にしたらよかったし、検診を受けたらよかったなと思います。娘にもこうした経験を話しているので、『HPVワクチンを受けなくては』って本人が言うほどです。昔はワクチンがありませんでしたからね」

そんなノリコさんのがんは、今では寛解しています。普通は術後5年間の経過観察ですが、妊娠・出産を経たので10年間の経過観察だったそうです。

「あのとき手術してよかったと思います。じつは治療法に悩んでいたとき、少しずつ温度が上がるお風呂につかるだけの『温熱療法』をすすめられたことがありました。体温を上げれば、熱に弱いがんは死滅するとかって。でも、そんなことで治るわけがありませんよね」

ノリコさんははっきり断ることができたけれども、つらいがん治療中にすすめられたら、どんな人でも騙されたり、押し切られたりすることがあるかもしれません。

「温熱療法をすすめた人は、私が手術をして寛解してからも、『手術しないで、温熱療法を続けたらよかったのに』と言っていて驚きました。特に悪気はなく、温熱療法の効果を信じているのでしょうが、こういう無責任な発言に騙されないようにしてほしいと思います」

 

 

大西まお

編集者、ライター。出版社にて雑誌・PR誌・書籍の編集をしたのち、独立。現在は、WEB記事のライティングおよび編集、書籍の編集をしている。主な編集担当書は、宋美玄著『産婦人科医ママの妊娠・出産パーフェクトBOOK』、森戸やすみ著『小児科医ママの「育児の不安」解決BOOK』、名取宏著『「ニセ医学」に騙されないために』など。特に子育て、教育、医療、エッセイなどの分野に関心がある。

宋美玄 産婦人科医 crumii編集長

この記事の監修医師

丸の内の森レディースクリニック

院長

宋美玄先生

産婦人科専門医

丸の内の森レディースクリニック院長、ウィメンズヘルスリテラシー協会代表理事産婦人科専門医。臨床の現場に身を置きながら情報番組でコメンテーターをつとめるなど数々のメディアにも出演し、セックスや月経など女性のヘルスケアに関する情報発信を行う。著書に『女医が教える本当に気持ちのいいセックス』など多数。

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